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プシェヴォルスキの「不確実性の制度化」とその事例としてのスウェーデンの1909年選挙法改正

 プシェヴォルスキ(Przeworski,Adam)が引き合いに出しているのはおそらく1909年の選挙法改正であろう。この頃、スウェーデンは急速な勢いで工業化し、それに伴い都市化が進み労働運動なども盛んになっていた時期である。社民党やLOが結成されこれに対応する形で院内会派に過ぎなかった自由党と右党(保守党)も全国組織を結成する。そのようななかで、プシェヴォルスキも書いているとおり、選挙権の拡大は不可避と見られるようになった。1905年に第二院(下院)で多数を占める自由党内閣が普通選挙法案を提示しましたが右党が多数を占める第一院で否決される。その結果自由党内閣は崩壊しA.リンドマン率いる右党政権が成立した。リンドマンは普通選挙が不可避と見て男子普通選挙制を導入しますが、これは同時に保守勢力に有利なような制度となっていた。ひとつは第一院の選挙は制限選挙のままとすること。これによって右党は普選導入後も第一院を支配し続けることに成功した。そしてもう一つは比例代表制の導入です。選挙権の拡大によって苦戦が予想される右党にとって死票の少ない比例代表制が有利であったのは論証するまでもないと思う(“first-past-the post system”が社民党に有利であり決選投票が自由党に有利であるというというのは実際に選挙が行われていないので何とも言えない。後述するとおり比例代表制によるとは言え最初の普選の結果、第一党になったは社民党ではなく自由党であった。ただ、労働組合が普選を求めてゼネストを行うなどかなり騒然とした時代だったようなので、選挙区選挙になれば左派優位という観測は成り立ち得たであろうが)。

 第一回普選の選挙結果は全230議席中自由党:102、社民党:64、右党64となった。この改革自体が社民党と右党の妥協の産物であったというプシェヴォルスキの議論は間違いであるといえる。普選といっても納税能力のないものや、定住していないものは選挙権を得ることができなかったため社民党はこの法案そのものに反対していたからである。またこの比例代表制の導入という決断とその後の展開がどこまで「不確実性の制度化」であったかどうかには疑問が残る。というのは右党政権が比例代表制の導入によって選挙に勝利しうると考えていたかどうかが微妙だからである。実際選挙結果を受けリンドマンは第一院を右党が支配しているにもかかわらず自由党に政権を明け渡している。「右党政権は普選においても勝利しうると考えて比例代表制を導入した→しかしその結果左派連合(自由+社民)に敗北した→すなわちこれは民主主義が不確実性の制度化であることの例である」というよりも「右党政権は普選導入後においてもある程度の勢力の維持を考えて比例代表制を導入した→そしてその結果、議会第2党の地位を維持した→すなわちこれは民主主義が不確実性の制度化であるとしても制度をいじることによって何らかの利益を一定程度守ることは可能であることを示している」といった方が事実に近いのではないかとぼく自身は考える。プシェヴォルスキ自身がスウェーデンの例を出す前にこう述べているのがそのことを示していると言えよう。“If a peaceful transition to democracy is to be possible, the first problem to be solved is how to institutionalize uncertainity without threatening the interests of those who can still reverse this process.”

 すなわちスウェーデンの例は不確実性の制度化による不確実な結果が生じた例ではなく、保守勢力の利益を脅かすことなく(第一院に制限選挙制を残し、第二院も比例代表制にすることによって彼らの発言権を残しつつ)不確実性を制度化することに成功した例として捉えるべきなのではないだろうか。

 ただし、誤算が生んだ結果論ではあるのかもしれないが右党が不確実性を受け入れたという事実が大きいことに変わりはない。また皮算用が外れても敗北を受け入れる用意があったということが一番肝心であろう。実際、スウェーデンの保守政党は何十年後に再び勝利する。「不確実性の制度化」とは換言するならば勝利も確実ではないかわりに敗北もまた確実なものではないシステムであり、そこに民主主義の特異性があるのである。

参考文献
百瀬宏『北欧現代史』山川出版
S.ハデニウス、岡沢憲芙監訳「スウェーデン現代政治史」早大出版部
Adam Przeworski "Some Problems in the Study of the Transition to Democracy"

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